今、19枚のディスクを1枚ずつ、iTunesに読み込みながら、この文章を書いている。10年以上前に、図書館で借りて来た「白い暴動」のCDをラジカセで録音しながら、あの娘に何枚目かの出せない手紙を書いていた時と同じように(一部脚色)。

今から20年以上も前に、日本で企画された7インチ・ボックス"the clash singles '77-'79"をもとに復刻された、クラッシュ全キャリアのシングル・ボックスセット"the clash singles '77-'85"。クラッシュのキャリアを総括するこのボックスに収められたライナーには、数多くのアーティストから、クラッシュに対する尊敬と愛情のこもった文が寄せられている。中でも、ブックレットの一番最初に収められた、ビースティー・ボーイズのマイクDのコメントが、一番、無邪気な愛情を現しているかもしれない。

「若い頃、12か13歳の時。俺にとってクラッシュは、このバンドに身を捧げようと思った、そして7インチシングルを買うために飯代をガマンした最初のグループだったな。ダチの好きな、でもなく、兄貴のお気に入り、でもなく、俺のクラッシュだ!てね。クラッシュから全てを学んだよ。音楽だけじゃなく、ジャケットのアートワーク、それに服装も。部屋でレコードに合わせて歌い、踊りながらね。」

一言で言えば「キッズ」。パンク・ロックは、いやそもそもロックンロールは、悩める、怒れる、そして恋する若者の為の音楽と言える。自分にしたって、ダラダラと日を過ごし、信用するなと言われ、思い続けて来た30歳に手が届きつつある今でも、自分の中に未だあるガキの感覚、キッズのこころが、ロックンロールを聴かせ続けているのだと思う。そしてそんな感覚を、マイクDも持ち続けているんだと思う。この感覚は、決して後ろ向きなんかじゃない。前を向いていないと、振り返ることは出来ないのだ。もう一度、マイクDの言葉に戻ろう。

「生のクラッシュを観たのは、後の悪名高いナイトクラブ、Palladiumだった。うまいこと兄貴達についていってね。すっかり天にも昇るような気持ちにはしゃいじゃって、兄貴達にはちょっとバツが悪かったけどね(笑)席に立って踊って、声が枯れるまで叫んでさ。あのショウがきっかけで、俺は自分の夢を決めたのさ ー いつか、自分のバンドを組むってね。」

ご存知の通り、マイクDの「バンド」、ビースティーズは、ヒップ・ホップを軸に、ジャズからレゲエにファンク、ハードコア・パンクと様々なジャンルを自由にクロスオーバーさせている。パンク・ロックというジャンルを作り、そして自らその言葉の意味を揺るがし、広げていったクラッシュというバンドに影響を受けた人間として、ぴったりの第一走者だと思う。

これからバトンが渡されて行くランナー達も、実に多種多様な、そしてマイクDにもクラッシュにも負けず劣らずユニークな人達ばかりだ。そして皆、キッズの心を持ち続けている、"Just Mine"-俺のクラッシュだ、という思いでクラッシュと向き合って来た人達ばかりだ。そしてもちろん、自分も。これから、1枚ずつのシングルと、そこに収められたライナーノーツを紹介しながら、改めて、クラッシュという存在の大きさに向き合ってみたい。

最後にオマケ。本当に幅広い音楽をヒップホップにクロスオーヴァーさせているビースティーズの、ミクスチャー感覚が、クラッシュからの影響であるというカミングアウト。

「クラッシュの"ポリスとコソ泥"を聴くまで、リー・"スクラッチ"・ペリーなんて名前、聞いたこともなかった。これを聴いたその日から、カヴァーはオリジナルになり得る、他の誰かの曲を、自分のものにすることが出来るんだって思うようになった。クラッシュはレゲエを愛した。それで俺も、彼等を追っかけてレゲエを掘って。で、すぐにレゲエと恋に落ちちゃったってわけ。」

ちなみに文中で名前が挙げられているリー・ペリーをマイクDは本当にリスペクトしていて、自身が運営していた「グランド・ロイヤル」の雑誌でも、彼の特集を組んだことが。

■Police And Thieves original



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