この7インチシングルは、英国の音楽雑誌NMEの読者用付録として制作されたもので、メンバーへのインタビューと、そして"Caital Radio One"が収録されている。 ここで紹介するライナーノーツを書いているのは、そのインタビュアーを務めたジャーナリスト、トニー・パーソンズによるもの。

「インタビュー当日、私とミック、ポール、そしてジョーはサークル・レインの駅で落ち合った。カバンにスピードを詰めてね。彼等とは以前にも顔をあわせていたけれど、彼等と知り合えるのは本当に嬉しかったね。私は彼等を本当に気に入っていた。一番印象に残っていることは、リヴァプール駅での撮影ブースで、スピードをやってたら警官が入ってこようとしたときのことだね。77年の初め、それは本当にファンタスティックな時間だった」

NMEの記者がクスリを持ってアーティストとのインタビューに臨む、というだけでちょっと現代の日本人の感覚として驚きを禁じえないのだけれど、これも時代なのか、それとも風土なのか。まぁ、「セックス・ドラッグ・ロックンロール」は、クラッシュとて例外ではなかった、ということか。

「次の日、ジュリー・バーチルと私は"Capital Radio"レコーディングをしているスタジオへ出向いた。NME用のシングルで、25000枚限定とかなんとかだったかな。一日中、彼等の仕事ぶりを見ていたよ。バンドには3人の音楽的リーダーがいて、その当時はみんな、まるで兄弟みたいにお互いを愛し合ってたね。 その当時、彼等のドラマーはテリー・チャイムズだったんだけど、彼はいいドラマーだったが、クラッシュであるには普通すぎた。今、歴史に何が起こってるかわかってなかったんだ。かれはよく「今夜はビング・クロスビーのショウがあるんだぜ」なんて言っては、ミック・ジョーンズにショックを与えてたね」

そう、初期クラッシュの最大の弱点は、ドラマーだった。ビング・クロスビーの名前を出すまでもなく、彼のドラミングは、焦燥感というポイントにおいて、アルバム「白い暴動」のインパクトを弱めてしまっている、というのが現在までの通説である。ここまではっきり書かれてしまうとなんだかかわいそうだけれど、まぁ、仕方ない。そういえばオアシスも、1stの後で初代ドラマーを首にしているし。

閑話休題。クラッシュが、三人の音楽的リーダーと一人の時代遅れといった構成から、最強の4ピースへと進化する、そう、トッパー・ヒードンの加入は、もう少し先の話になる。

「ストラマーが"Don't touch this dial"を即興でプレイした時のことも良く覚えているよ。彼等は、自分達の夢が叶おうとしていることを実感してた。彼等は凄いバンドで、凄いライブをして、スタジオでもいい仕事をしていて。まさに、ストリートを歩くスーパースターって感じだった」

ストリートのスーパースター、という言葉を端的に表すエピソードをひとつ。 先に述べたとおり、このEPは、雑誌NMEの特典という形で作られたもので、店頭での流通はされなかった。そして収められた”Capital Radio One”はこのEP限定収録。それゆえ当然、すぐにプレミアものとして、法外な高値で取引される状態に。そんな、聴きたくても聴けないといった状況をなんとかするために、1979年に”Capital Radio Two”と改題、バージョンアップさせたリメイク曲として、”The Cost Of Living EP”の中に収録、リリースしている。こうした、ファンのために一番メリットのあることをする、という主義と実践が、彼らが愛され支持された理由だろう。

■the clash / capital radio one



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